2007年 11月 21日
バッテンスツール
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私には宮脇檀建築研究室の同期が二人いる。
アトリエ系と呼ばれる小さな設計事務所においてはかなり画期的なことだ。バブル期の成せるワザだろう。
そのうちひとりは1時間でクビになった。優柔不断な性格のため、大手ハウスメーカーから内定を貰っていたにも拘わらず、宮脇研究室、ハウスメーカーどちらにも断りを入れることなく4月迎えてしまっていたことに、ボス宮脇は怒った。
もうひとりの同期も1年を待たずして去っていった。だが、こちらの理由は、家族の健康状態であり、惜しまれて祖国北海道に帰っていった。
北海道に帰っていった彼女は、宮脇研究室ではインテリアの設計に関わることが多く、海の向こうでも家具を中心としたデザイン・制作に勤しんでいる。
その後、国の補助を受け、デンマーク王立芸術アカデミーで2年間家具デザインについて学んで帰ってきた。
バッテンスツールに出会ったのは2004年の11月のことだった。
『旭川家具コレクション2004東京』展に出展するという連絡が彼女からきた。椅子コレクターとして世界的に有名な織田憲嗣氏の講演もあり、初日に足を運んだ。
座面が小さく尻が痛いんじゃないか?
最初の印象はそんなものだった。だが、実際に坐ってみると、窪んだ座面と尻がフィットする。シャープなデザインながら包まれるような感覚があった。さすが元同期。カッコばかりでなく掛け心地にも腐心している。
欲を云えば、二つの板が交差する箇所は相欠き(あいがき)や組子のようにできなかったか。強度的な問題から断念したのかもしれないが、より繊細で木製品らしい表現ができたのではないかと思う。
彼女の名まえは伊藤千織。大学の講師も務め、文章やイラストも面白いマルチプレーヤーだが、私の発注から2年半も経って送ってくるおおらかな一面も携えている。
アトリエ系と呼ばれる小さな設計事務所においてはかなり画期的なことだ。バブル期の成せるワザだろう。
そのうちひとりは1時間でクビになった。優柔不断な性格のため、大手ハウスメーカーから内定を貰っていたにも拘わらず、宮脇研究室、ハウスメーカーどちらにも断りを入れることなく4月迎えてしまっていたことに、ボス宮脇は怒った。
もうひとりの同期も1年を待たずして去っていった。だが、こちらの理由は、家族の健康状態であり、惜しまれて祖国北海道に帰っていった。
北海道に帰っていった彼女は、宮脇研究室ではインテリアの設計に関わることが多く、海の向こうでも家具を中心としたデザイン・制作に勤しんでいる。
その後、国の補助を受け、デンマーク王立芸術アカデミーで2年間家具デザインについて学んで帰ってきた。
バッテンスツールに出会ったのは2004年の11月のことだった。
『旭川家具コレクション2004東京』展に出展するという連絡が彼女からきた。椅子コレクターとして世界的に有名な織田憲嗣氏の講演もあり、初日に足を運んだ。
座面が小さく尻が痛いんじゃないか?
最初の印象はそんなものだった。だが、実際に坐ってみると、窪んだ座面と尻がフィットする。シャープなデザインながら包まれるような感覚があった。さすが元同期。カッコばかりでなく掛け心地にも腐心している。
欲を云えば、二つの板が交差する箇所は相欠き(あいがき)や組子のようにできなかったか。強度的な問題から断念したのかもしれないが、より繊細で木製品らしい表現ができたのではないかと思う。
彼女の名まえは伊藤千織。大学の講師も務め、文章やイラストも面白いマルチプレーヤーだが、私の発注から2年半も経って送ってくるおおらかな一面も携えている。
by siteplan-archi
| 2007-11-21 16:04
| 道具,モノ